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日本基督教団

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牧師メッセージLetter

復活のキリスト ルカ24:1〜12 ~正田 篤牧師~
(2017.4.16 復活日礼拝)

受難週の金曜日、婦人たちが目撃したのは、敬愛する主イエスが十字架に磔にされ、死んでいかれるお姿でした。そのあまりに無残なお姿に衝撃を受けた彼女たちは、主イエスが以前に語ってくださっていた復活の約束を忘れてしまいました。婦人たちは悲しみと嘆きの心を引きずるようにして、週の初めの日の明け方早く、主イエスを丁重に埋葬するため、準備していた香料をもって墓に向かいました。すると、二人の天使が現れて主のみ言葉が示され、彼女たちは主の約束を思い出したのです。そして復活のキリストが実現してくださったいのちの希望を取り戻すことができました。

婦人たちの姿は私たちに希望と慰めを与えます。人生の悲しみや苦しみの経験によって、主の約束と信仰を見失うことがあります。礼拝に集うことも辛くなります。しかし、主なる神様は、そのような私たちのためにこそ教会を用意して、み言葉を語りかけてくださいます。私たちは礼拝の中で、主がいつも共にいてくださり、私たちを導き、支えてくださることを聖霊の導きによって思い起こすのです。それは復活の朝、主イエスと再会した婦人たちと同じです。

そして婦人たちが復活のキリストを通して、恐れから喜びへと導かれたように、私たちも礼拝を通して主イエス・キリストの十字架と復活こそが救いであると知らされ、死と滅びから永遠のいのちへと導かれました。主イエス・キリストの十字架によって罪から解放され、三日目の復活によって神様が私たちを新しいいのちへと導いてくださることを教えられました。そして、この神様の救いの恵みに洗礼によって招き入れられたのです。洗礼はキリストの救いの確かさを心に刻むことです。つまり、たとえ私たちが主の救いの約束を忘れたとしても、主の確かな救いのしるしである洗礼を受けた事実は変わりません。私たちは洗礼によって主の救いに立ち返ることができ、信仰から信仰へと確実に歩むことができます。この恵みを聖餐の度ごとに思い出して、私たちは主の約束に生き続けるのです。

週の初めの日つまり日曜日、主イエスの十字架と死を悲しみ、深い嘆きの中にあった婦人たちは、天からの主の語りかけによって、悲しみと嘆きから復活の恵みと喜びへ導き出されました。主のみ言葉により、いのちの希望を回復した彼女たちは、復活の証人としての新しい一歩を踏み出すことができました。主のみ言葉によって守られ、支えられた彼女たちは、復活のキリストの恵みを土台として人生を主に捧げる歩みを始めたのです。ここに私たちキリスト者の喜びがあります。主イエスを信じる者は死を越えて生きることができます。私たちは皆、この喜びと希望を復活のキリストからいただいて、教会を通して主イエスの言葉と御業、十字架と復活を思い起こし、主の約束に向かって生きていくのです。


主イエスのみ言葉 マタイ5:3 ~正田 篤牧師~
(2017.1.8 アパルーム礼拝)

「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである」と主イエスは語りかけてくださいました。この主イエスのみ言葉に支えられて、私たちは心の貧しさを抱えたままで主の前に立ち、主のみ言葉を聞くことができます。クリスマスに地上に来られ、私たちの救いのために十字架についてくださった主イエスは「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである」と語っていてくださるからです。

心の貧しさについては、愛に生きることを少しでも真剣に考えた人ならば、よく分かることだと思います。誰かと一緒に生きようとする時、その人のために真実に生き抜くことのできない貧しさを痛感するからです。しかし、聖書が告げるのは、そのような私たちの中に神さまは主イエスを遣わして、私たちの中に立ち続けてくださることです。そして私たちの貧しさを裁き、罰することはなさらないで、ご自身の愛をもって、その貧しさ、その欠けをご自分のいのちで覆ってくださったことです。ですから、私たちは聖書から「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである」の背後に、主イエス・キリストの十字架の救いがあり、主イエス・キリストを通して、私たちの貧しさが既に覆われていることを聞き取る必要があります。

誰かの傍らに立つことができた時、それは自分の持つ豊さの故ではなく、自らの貧しさの中に神の憐れみが満たされているのを信じたからであります。そして神さまはそんな私たちを用いてくださいます。ですから誰かが私たちの言葉や行いによって愛を感じ、慰められていると感謝する時、こんなに貧しい私を神が生かして用いてくださることに驚きと感謝との思いを抱かざるを得ないのです。本当にそうです。私の言葉や存在が誰かを支え、生かしているとするならば、そこにいったい何があるというのでしょうか。そこにある愛は神さまからの一方的な恵みです。このことを信じる時、私たちは貧しさを抱えていても、たとえ弱さがあっても生きることができるのです。神さまは必ず私たちを用いてくださるからです。

貧しさを自覚しつつ、一人の人間として生きることができる。不十分さを抱えながら、誰かと一緒に生きていく。主の愛に留まって、互いに生きることができたら、どんなに素晴らしいでしょうか。貧しさは確かにあるのです。それは厳しい現実です。しかし、私たちの貧しさを担ってくださったキリストを信じる時、それは祝福された貧しさになります。救い主イエス・キリストが私たちを変えてくださるのです。主イエスのみ言葉は、人と共に生きる力を私たちに与えてくださいます。「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。」私たちはここに立つのです。


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